2020年4月10日

第3回 武漢ウイルス・新型コロナウイルス禍

「カルマとは日本語で業ともいう。

死んでも死にきれない何かだ、と思えばいい。

それはとてつもない執着心であり、憎悪であり、恨みの心、復讐心である。」

ぼくは前回、『カルマ』の一端をこのように表現した。

 

また、『カルマ・業』を介して20世紀に勃発した二つの大きな戦争と世界的なインフルエンザのパンデミックである『スペイン風邪』、さらに世界恐慌について述べた。

これらはみな、『カルマ』が関与したものであると、ぼくはみる。

そして現代、最も重要でかつ問題の要素、それが『中国』である。

 

今回のコロナウイルスのパンデミックを、あなたはどうとらえるだろうか?

単なる自然災害なのか?それとも・・・

 

第二次世界大戦の末期に投下された広島、長崎への原爆。

悪魔のような兵器の登場。一瞬にして奪われた数限りなく尊い生命。

それで『カルマ』の復讐は終わったのだろうか?

 

その後も、たびたび起こる局地的な戦禍(朝鮮戦争、ベトナム戦争)や東西の対立と冷戦、中東紛争、湾岸戦争、イラクやアフガンでの戦闘など、あげればきりがない。。

繰り返して繰り返し行われる人類の愚行・・・。

 

それで『カルマ』は満足しただろうか?

 

誰もが気付いていることだ。このようなことを繰り返してはならぬと。

そして『カルマ』が満足するはずなどないと。

その通りである。

このままでいけば『カルマ』の勢いが増すことはあっても、決して減ることはないであろう。

『カルマ』に操られる人々がいる限り、『カルマ』は生き残る。‘操り’については後述する。

 

このたびのパンデミックはもちろん『カルマ』そのものである。

しかし単なる『カルマ』ではない。

 

第一次大戦や第二次大戦、そして『スペイン風邪』のように、このたびのパンデミックも規模が大きく被害も甚大である。

この種のカルマを『破滅のカルマ』という。

 

ここで『カルマ』について、ぼくなりの説明を加えてみたいと思う。

先ず、その現れ方である。

大きく二つに分かれる。

自然災害として引き起こされるものと、人為的災害として引き起こされるものである。

 

自然災害とは地震、津波、豪雨、そして洪水、大風や竜巻、山火事、火山の爆発、さらに天候の不調、作物の不作、そして疫病の蔓延である。それらの規模に大小はあるが、『カルマ』がその引き金になる。

 

その中で大規模かつ甚大な被害をもたらすものは『破滅のカルマ』とみなされる。

関東大震災や阪神淡路大震災、それに東日本大震災はいずれも『破滅のカルマ』のひとつである。新潟県中越地震も熊本地震も北海道胆振東部地震もその範疇にはいるだろう。

もし、富士山が噴火するならばそれも『破滅のカルマ』とみなすことができよう。

 

人為的災害とは、戦争や紛争、さらに独裁による悪政、圧政、弾圧、そして経済的破綻などである。また、それらにともなう侵略行為など多岐にわたる。

 

一度起こったら容赦ないほど激しいものが『破滅のカルマ』の特徴である。

その持続時間(時期)も長い。すなわち、被害も相当大きなものになるであろう。

 

近隣諸国の中でもそのような国はすぐに思いつくだろう。

そこで暮らす人々はほんとうに気の毒だと思う。すべてにおいて、たいそう苦労が絶えないであろう。貧困に加えて飢餓、そして圧政。

 

なぜそんなところにいるのだろうかと思うのだが、好きでいるわけではない。

生まれたところだから、いたしかたない事と思わねばならない。しかし、後で出てくるが、それは土地のカルマ、国のカルマと連動している。

もちろん、支配する人々にくっつく『破滅のカルマ』が存在することも確かである。

決して支配者自身やその一族だけが助かる、ということはない。

 

余談だが、人はなぜこのように権力に依存し、人々を支配したがるのであろうか。

気の弱いぼくは、そのことが理解できず苦しむのである。

さりとてどの社会、どの会社、どの組織にもそのような人はいる。

 

我々はそのようなところでも笑ってすまそうと言えば笑ってすますことができるし、回避することも可能だ。普通選挙があるからだ。

それが民主国家のいいところだが、彼の国はそうはいかない。

何かといえばすぐに粛清となってしまう。すなわち処刑である。居眠りをしただけで処刑だから、たまったものではない。悪政の極みであるし、残虐極まりない。

その黒歴史には目を覆い、耳を塞ぎたくなるほどだ。

 

さて、『カルマ』について次に知っておくべきこと。

それは、『カルマ』には個人に関するもの、土地や地域に関するもの、国に関するもの、それらを越えて世界にまで及ぶものがある、ということである。

『破滅のカルマ』とは規模の大きさにおいても、時間的な長さにおいても、その被害も半端なくデカいと言える。すなわち国や世界に関し、強く影響するものであり、国の『カルマ』、世界の『カルマ』だともいえる。

 

さらにもうひとつ。実は宇宙に関しても、『カルマ』がないわけではない。

それは単に物理的現象として現れるのであって、例えば星と星の衝突、銀河と銀河の衝突が起きることがある。それは一定の結果として現れ、ものすごく大規模な事象として観察することができる。だがそうだとしても、それは単に星々の物理的な関係性をいっただけであり、ぼくらにとって深刻な問題にはほとんどなり得ない。

星や宇宙としての運命的な『カルマ』ではあるかもしれないが、それを見聞きしても、単に「すごいなあ」くらいにしか思わないであろう。

 

しかし、生命の星である“地球”には物理現象としての『カルマ』以外の要素が入ってくる。とくに、知的生命体としての“人”の存在はこれをさらに複雑化させている。

一般にぼくたちが『カルマ』という言葉を使う場合、それは“人”が内在したものである、といえるだろう。

《武漢ウイルス・新型コロナウイルス禍4へ続く》

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