2020年5月11日

第5回 武漢ウイルス・新型コロナウイルス禍

今回の話で武漢コロナ禍については最終章とするはずであった。しかし、思わぬところで長引いてしまい、量がめちゃ多くなったので、やむを得ずいくつかに分けることになった。したがって最終章はもう少し先になる。お伝えしたいことは山ほどあるから、ついつい筆が止まらなくなった。どうかご勘弁願いたい。

それから一つ訂正があって、前回『スペイン風邪』の第一波、第二波、第三波の‘波’を‘派’と書いてしまった。‘波’が正しい。心からお詫び申し上げたい。

ちなみに『スペイン風邪』は第二波、第三波の方が重症度は強く多くの方々が亡くなったという。曾祖母もそのひとりなのである。(*会員の皆さんにはルフォルジュの森・その1がじきにアップされる。曾祖母のことはまだしばらくお待ちいただきたい)

さて、話を本筋に戻そう。

このたびの武漢発の新型コロナ禍は、甚大な被害を全世界に及ぼしてしまった。多くの方が犠牲となり、いまなお苦しんでおられる大勢の方がいらっしゃる。お亡くなりになった方々には心底より哀悼の意を表したいと思うし、闘病中の方にはお見舞いを申し上げなければならない。不自由な生活が世界中に及び、経済も大打撃を受けている。本当に大変な事態である。

未曽有の大災害であるが、我が国ではほとんどの方がまだ自らの足元のことしか見ていない。政府や行政の対応が遅いためにそのことに集中せざるを得ないからである。

実は大変なことになりつつある。

その元凶、まさにその中心は中国なのである。中国共産党による悪辣な謀議謀略に、日本人はまだ気づいていない方も多い。

このウイルス禍が本当に災害なのか、自然発生したものかどうかさえ分からないのだ。それがどのように広がりをみせたのかも不明である。どのように隠蔽されたかもだ。

我が国の政府、与党、野党ならびにメディアは中国がらみのことについては及び腰である。永くアメリカの腰ぎんちゃくと呼ばれていたが、今では中国の太鼓持ちとなりつつあるのだろうか。

習近平が国賓だと!?だが、その線はまだ葬られていない。国賓来日は模索されているのだ。

だとしたら不届き千万。非常にゆゆしき問題ではないか。舐められっぱなしもほどがある。恥を知れ!と思う。

このことについては後にまた触れたい。とにかく、我が国と日本人の器量が試されている。

余談はここまでにするが、実はこのことが今回の《武漢ウイルス・新型コロナウイルス禍5》の隠れたテーマでもある。こんなこと書くと身の危険はどうなのかとも思う。

5月2日に米ピッツバーグ大学医学部の武漢ウイルスを研究していた劉兵という助教が殺害された。彼は中国人だったけど重大な研究成果を発表するところだったらしい。北京が口封じを行うことはその筋では常識なのである。

さて、コロナの第二波、第三波が来ると予測されている。先に述べたように、『スペイン風邪』では第二波以降の方で人的被害がよりひどかったといわれているが、その理由はウイルスの変異による。強毒化が進んだのだ。では第二波の到来はいつ頃なのだろうか?

秋以降か?来年か?オリンピックはどうなるのか?

オリンピックよりも感染症の方が優先されるだろうと思われる。当然であろう。

報道のように発生源の武漢型コロナから欧米型コロナへと強毒化しているということは、変異の仕方によっては強毒化がさらに進み、感染力と致死率がより高くなることを意味する。非常に厄介なことになる。

第二波が来る前に、ある程度の治療薬やワクチンに目処がつけばいいともいえるのだが、そこのところは人類の叡智と運を信じたいと切に願う。レムデシビルやアビガンのように効果のある薬剤も次第に増えつつあることは希望が持てる話である。ワクチン開発も急がれる。

現在、アメリカとヨーロッパでの被害が多く報告されている。中国の統計は正確ではないから全くあてにできない。発展途上国は医療事情から正確なことは分からないことも多い。

欧米に比べると我が国での数字が明らかに少ないのはどうしてだろうか。

詳しい被害分析はしないけれど、ぼくの個人的な見解を述べたいと思う。

それは『カルマ』からみた分析でもある。

『カルマ』を非科学的だと思うかもしれない。しかし、人類が科学的だと信じれるものがこの世にいったいどれほどあるというか? いや、さらに科学が発展すれば解明できるのだ、という人も多い。それならば『カルマ』はまさに、未発達の科学ゆえに証明できない一つの現象であると言えるだろう。最近UFOの存在が取りざたされているが、宇宙人はもちろん存在すると思っている。我々だってあくまでも宇宙人の一つに過ぎない、ということだ。

ぼくたちが知り得ることはあまりにも小さいのである。

これまで何度も述べてきたが『カルマ』が「死んでも死にきれない何か」、あるいは「とてつもない執着心であり、憎悪であり、恨みの心、復讐心」である。

であるならば、その原因となるものは、いったいなんであろうか?

要するに「死んでも死にきれない何か」が、死際に起こったのである。何がそうさせたのだろうか?何が起こったのか?

思うに、おそらくそれもまた「とてつもない執着心であり、憎悪であり、恨みの心、復讐心」そのものなのだろう。くり返し、くり返し行われる復讐である。仕返しの連鎖だ。

そうであれば、人は昔からひとつも変わることなく、同じように人を苦しめ、残虐に残酷に、無残に傷つけ合ってきたのである。では、やられた方はやられたままで終わるのだろうか?

肉体が滅んだ時、そこですべてが消滅するのであろうか?

以前述べたように、人は霊界と通じる‘心’を持つ極めて高度な生命体である。すなわちそのような“魂”を持つ存在であり、それにふさわしい“霊格”を持っている。正確には‘霊格を有している’。“霊格”は自然に備わっているのである。格付けでいえば非常に尊い存在である。人としての位の高い“魂”を持つというのだ。

肉体は朽ち果てても魂は残る。死して全てが無に帰すということはない。

それほどの霊格を有する“魂”が死してすべてを忘れてしまうだろうか?

死んだら生きていた時のバージョンが終わったのだから、済んだことにしよう。お互いチャラでいいよね?と、すべてを水に流すだろうか?

加害者は自らの都合でこれでノーサイドだ、といえるだろうか?ということだが、あなただったらどうであろうか?

もしあなたが被害者で殺られた方だったとしたら、水に流して許せるであろうか?

あるいは家族、あるいは同胞を傷つけられたら・・・。いかがであろうか?

もちろん理性的な考え、というものはあると思う。許すことは必要だし、理性という高度の意識や価値観からいえば、そのほうが正しいことなのかもしれない。

だが、悲しみを背負ったとき、そんなもんだと納得するしかないのだろうか。

もしもたいへん物分かりのよい人物がいたとして、どれほど痛めつけられたとしても、すべてを受け入れて納得したとする。そのとき、その人の“魂”は、ほんとうに納得したのであろうか?

その“魂”が、悲しみや苦しみ、憎しみをそのまま、悲しみや苦しみ、憎しみとしてとらえないことがあるだろうか。表面的には乗り越えたとしても、心の深い部分、深層心理のレベル、魂のレベルではどうなのだろう。

答えは恐らく、ほとんどの場合は、“ノー”である。

納得など全然していない。なぜか?

それは一つの真理による。因果の法則である。

原因があって縁を生じれば、必ず結果が出る。結果には必ず原因がある、ということだ。

そして、繰り返される原因と結果には、ずっと遡ってみると、根本的な原因が必ずある。

『カルマ』を生じた根本原因だ。そのことが恨みや悲しみが消えない、第一の理由である。

『カルマ』を生じた原因があるにもかかわらず結果が出ないことは絶対にない、ということである。お分かりだろうか?原因があるからそのような結果となるのだ。

『カルマ』が原因なら、その働きによってある結果を生む。あるいはその原因の結果として『カルマ』がまた新たに生じるということだ。

これは根本原理であり、この流れを解消することは不可能といえる。

しかし、「ほとんどの場合は、“ノー”である。」というのは、非常にまれに消えることがあるのも事実であるのである。すなわち、『カルマ』が完全か不完全か、弱くなる場合があるのだ。要するに『カルマ』が消えてしまう、あるいは『カルマ』が新たに生じない場合があるということになる。これは我われにとっても地球にとっても希望となり得ることである。このことにつていはまたいつか話したい。魂の救済につながることなのだ。

さて、因果の法則が『カルマ』が続く第一の理由なのだが、第二の理由は、作用反作用の法則である。これも作用というパワーが生み出す反作用のことであり、必ず反発する作用があるということになる。もしも、現実の世界で作用に対する反作用が成し遂げられられなかったとしたらどうだろうか。それでなくなってしまったのだろうか。

もちろん霊的な世界など無く、表の世界だけの話であったなら「どこかにいっちゃった・・・」、ということで終了かもしれない。しかしこの世界は霊的空間と繋がっている。心がその窓になるからである。次元は違えども隣り同士なのであるから、心を通じていかようにも裏の世界につながるのだ。裏世界ではじめて反作用としてのパワーが生じても不思議ではないだろう。

結論としては、『カルマ』が存在するということは、『カルマ』を生み出す根本的な原因があり、そのために『カルマ』は繰り返し発生してしまう、ということである。昔は人口も少なかったから『カルマ』の被害もそれほどでなかったかもしれない。しかし今は違う。

しかも大量破壊兵器など悪魔の産物がうみだされ、そのうえに化学兵器、バイオ兵器など、人間の存在をことごとく否定するものが大量にうみだされている。

いまの人類と地球は危険水域にあるのだと思う。何者かに扮した『カルマ』が、指導者の耳元でほんの少しささやくだけで、その国は間違った方向へと進んでいってしまう。後戻りができない、取り返すことのできないことが起こりそうである。その引き金を『カルマ』は狙っているに違いない。

これまでの話で、『カルマ』が存在するということは、必ずその結果をもたらすことが分かったと思う。したがって、『カルマ』をわざわざ作り出すということほど愚かなことはないことも分かるだろう。たとえば独裁者、あるいは独裁国家である。

独裁者に逆らうものはどうなるか、歴史が証明するように、その大多数が粛清される。

ちなみに独裁者が行ってきた数々の悪行は、独裁者自身がどのような死に方をしても、それで終わりになることはあり得ない。どこまでもその罪を、その恨みを、粛清された者たちが追いかけていくのだ。だから、独裁者の末路は哀れである。多くの場合、まともな死に方はしないが、いずれにしても、死後の世界での反作用はたいへんなものとなる。

その魂に安らぎなど一切無い。

むごいなどと、言葉では表すことなどできないほど強烈であり悲惨極まる。肉体を持たないまま、肉体を持っていた時と同じ苦痛をあらん限りの残酷な方法で受けるのである。しかも際限は無い。四六時中どころではない。一秒さえ息をつく暇を与えてはくれないだろう。

それが何百年も続くこともある。生きているときは、権力で身を固めているが、死後の世界では身を守るものは皆無である。地獄の苦しみどころではない。

我われは庶民でよかったのである。

『カルマ』が現実にあり、その原因を今も積み重ねている以上、その反作用は必ず起こる。

現実に重要なことは、それが起こる時期、そして積み重なった『カルマ』の量、さらに『カルマ』にとって狙われるもっともな理由のある場所の特定かもしれない。それらが分かれば少なくとも何らかの対策を考えることができると思われる。

『カルマ』の対策だって?そんなことができるのか?

悲しみ、憎しみ、恨みの量、それに質を計ることなど可能なのか・・・? そう思われるかもしれない。もちろん、我われ凡人にはそのような超能力はない。ではどうするべきか。

我われにとっては兆候をみるよりほかはない。

我われはいま、コロナという未経験の難題に直面し、様々な不自由に遭っている。

少なくともここで経験したことすべては、今後に生かせることになる。『カルマ』という観点を持てば、今回の経験で何を学ぶべきかが分かるだろう。

『カルマ』が何を我われにしかけてきたか、ということをみていくことである。

世間では何が起こったか、そして日本政府は何を行ったか。我われはどう行動したか。政治家や政府関係者は何を発言したか、行政はどうだったかということのすべてである。世界では何が起こっていたか、ということである。それを逐一思い出し、記録することができるはずである。すべてが『カルマ』の仕業であった、という観点から見るのだ。

表の世界の話で、知っておいていただいた方がいいことがある。今回のパンデミックを経験し、我われ日本人は我々なりに苦労し、政府を信頼して皆で苦労を分け合ってきた。そのことは正しいと思うし、政府の優柔不断さなど、ただすべきところも多々あるが、言論の自由が保障された自由な社会である我が国はまだ幸せな方なのだと思う。

しかし、我われが実際にこの度の武漢ウイルス・新型コロナウイルス禍を経験して肝に銘じて知っておいた方がいいことは、全く別の問題なのである。

このことは我が国の安全保障とも深くかかわるのだけれど、マスクやトイレットペーパーやアルコール除菌液が市場から消えたような単純なことではない。経済的損失で苦しんでいる方々が大勢いるということも大問題であり、大規模な救済が必要なのはもちろんだ。

けれども、もっと異質で恐ろしいことが進行している。

このたびのコロナ禍での最大の問題は国際社会の中で何が起こっているかということである。日本ではネット以外では報道されない、本質の部分である。報道しない自由をメディアは利用しているのかもしれない。それは本来間違ったことなのだが、それを許す寛容さよりも、それを知ることの重要性を強調しなければならないほど、この度のことは深刻なのである。それは中国に関することなのである。

メディアは政府に対する危機管理の甘さなど我が国における不備はたくさん報道しても、こと中国に関してはほとんどがスルーである。政府はもとより政治家や官僚組織、そしてメディアにも工作活動が多数行われているという。

恐ろしいことはまだあるが、これ以上は聞くに堪えないかもしれないのでやめておこう。

こんなこと言っても信じない方は多いと思う。「え、そうなの」って答えが返ってくるだけかもしれない。

今回の武漢ウイルス・新型コロナウイルス禍が教えてくたこと、明らかになったこと、暴露されたことはたくさんある。ぼくらひとりひとりがよく考えねばならないことである。我われ日本人がひとりひとり心に留めなければならないことである。その中心は市井に暮らすぼくら一般庶民なのであって、政府や役人、それにメディアに頼るだけでは駄目だということだ。それらすべてを監視する責任もぼくらにあるということに他ならない。

ずいぶんと横道にそれたともいえるのだが、関連したことゆえお許し願いたい。

我が国は太平洋戦争を経験し、国家存亡の瀬戸際までいった。多くの罪もない国民が犠牲となり、また名もなき英霊が自己犠牲の上にこの国を救ったのだと、ぼくは思っている。強調したいのは国を救いたいという純粋な自己犠牲でしか戦えなかった点である。身を挺して戦い抜いた御英霊をぼくは心から尊敬し顕彰したいと思う。彼らの尊い犠牲の上にいまのぼくたちがいるのだから。

しかし、それもまた『カルマ』を生じたに違いない。

救いは、その戦いにおいて斃れた幾多の方々に対する認識が最近ずいぶん変わったことである。最近の変わり方は目を見張るものがある。おそらく日教組が教えたこととネット社会の今とではまるで違う認識が広がっているのだ。そう言うと不快感を覚える方もいると思う。新聞やテレビしか情報源がなければそれもしかたないのかもしれない。

隠された真実がネットの中で暴露されると、不都合な人はたくさんいるだろう。それもネット社会の現実であり、未来の世界なのだともいえる。後戻りができるかといえば、そのような議論さえ陳腐なものにしか思えない。後戻りとは中国共産党がやっているネット上の検閲であり削除である。都合の悪いテレビ画面が突然真っ黒になる情報統制である。

そのような社会を望んでいる人が我が国や世界にどれほどいるだろうか。

人間の所業と『カルマ』は切り離すことができないことなのである。

悲しいことにそれが人類の歴史なのだ。恨みや復讐心が溜まりに溜まっていった結果は悲惨である。単なる『カルマ』とはいえないほど膨大なものになる。そのとき『破滅のカルマ』と変化する。

以前ぼくは『カルマ』を二つに分けた。自然災害的なものと人為的災害である。

ここで、もうひとつ知っておくべきことがある。

それは、個人としてのカルマ、土地や地域が持つカルマ、そして国が持つカルマ、があるということである。『カルマ』同士は結びつきやすい。しかし、個人、土地や地域、国の順へ行くほど強く重く甚大になる。個人のカルマや土地のカルマなどは、国のカルマに比べたら大したことではないのかもしれない。

さて、本題に帰るが、今回の武漢新型コロナウイルス禍をどうとらえればよいであろうか?

ぼくはこれを‘警告’あるいは‘序章’とみる。

『破滅のカルマ』ではあるが、いまのところ小さいからだ。第二波、第三波はより強力なのかもしれない。我々にしてみれば、小さく終息してくれれば越したことはない。その上ワクチンや治療薬が開発されれば万々歳である。

しかし、‘警告’あるいは‘序章’とみなせる、というのはいったいどういうことか。

これは『カルマ』がどう考えるか、ということで決まるのである。

『カルマ』からこの流れを読むとどうなるか。

これでおしまいにする!復讐なんてもうしない!?なんて思うだろうか?

あなたがその立場ならどうだろう。

ぼくは今回を序章に過ぎないと思っている。本格的なものが将来必ず来る予感がする。

その中心地が中国なのである。

共産主義は粛清の歴史を持つ。自由がなく、共産党や共産主義以外を絶対に認めない。

中国の大躍進政策(1958~1961)での犠牲者は7000万以上、1966年から10年におよぶ文革では約2000万人(Wikipedia)。犠牲者はほとんどが自国民である。あなたはこれを信じられるだろうか?国民を国民とも思ないのか、国民は人間と思わないのか、そのどちらかである。今も続いているから、その数は一億を優に超えるだろう。

チベットやウイグル、内モンゴルなどでどれほどの虐殺が行われたことか。

いまもそれは続いている。それが彼らにとって当たり前のことだとしたら、復讐の『破滅のカルマ』は、何を思い、何を考え、人々にどのような心理的抑圧を及ぼそうとするであろうか。中国共産党が自国民でさえ簡単に殺傷するとすれば、我が国など他民族はどうであろうか。

考えてみただけでぞっとするが、中国で暮らしている人々は普通の人なのである。しかし、共産主義・共産党が支配する限り、中国は普通の国ではない。しかも共産主義国となってから犠牲者の数が激増した。どれほどの人が殺されたり自殺に追い込まれたりしただろう?また臓器売買のために犠牲になった人の思いはいかばかりであろうか。責任はあくまでも中国共産党にある。

権力への強烈な執着、貪り続ける欲望、強欲な利権、その非人道的思想と構造、謀略と裏切り、罠の数々。そこにつけ込んだ『カルマ』が必ず存在するのであり、裏世界には浮かばれない死者の群れがあるのだ。それもおどろくほど大量に、である。

『破滅のカルマ』の本流は今まさに動き出してもおかしくはないだろう。

それがコロナの第二波か、また全く新しい未知のウイルス禍であるか、さらには世界恐慌など立ち直れないほどの経済的打撃か、温暖化などによる壊滅的環境破壊か、はたまた米中による武力衝突あるいは第三次大戦か。

分からないけれど、必ずやって来るだろう。

しかし世界の現状を見れば、想像するに難くはないように思われる。

《武漢ウイルス・新型コロナウイルス禍6・・・希望の章へと続く》

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