2020年6月4日

第6回3部【希望の章】武漢ウイルス・新型コロナウイルス禍

わが国の守られるべきものとは、いったい何だろうか?

もちろん『日本国』そのものであることは間違いない。当然のことであるが、それはわが国そのものであり、国土や国民、わが国の歴史や文化そして民度をも含めるのである。

しかしその一番の根っ子に当たる、大切な国の礎を忘れてはならない。

 

それは『国体』である。『国体』については以前にも触れたので参照されたい。

要するに、わが国の在り様である。

そして『国体』は生きものでもある。

 

どの国にもその国なりの『国体』があるが、わが日本国にも、わが国としての『国体』が存在する。

それは、守ろうという国民の強い意思によって強固な要塞と化す。しかしいったん、その意思が弱まると、たちまち脆く崩壊していく。まるで砂上の楼閣のようである。

『国体』が生きているからだ。

 

天皇陛下が祈りによって国の安定と国民の平穏で豊かな生活、そして世界の平和を願う。

それを中心として築き上げてきた社会。それが日本国であり、わが国の在り様そのものである。

もちろん天照大神を始めとする八百万の神々の存在はいうまでもない。

それがわが国の『国体』である。

それは軍国主義や右翼とは全く無関係な存在である。

 

わが国の天皇は昔から武装していない。これもまた大きな特徴と言えるだろう。

このことは他国の王家と全く異なるところであり、わが国の天皇におかれてはその必要が無かったことに他ならない。

考えてみれば分かることだが、他国は剣によって民を支配するのであり、民は搾取の対象である。つまり征服によって成り立った王家であり絶対権力者である。支配さえるものに権利など無い。

 

わが国の天皇とはその性格や成り立ちから違うのだ。

民に支えられているからこそ天皇は武装されることはなかった。国のため、民のためにただひたすら祈りつづけ、民に寄り添う存在である。そのような方をどうこうしようとする者は本来いるはずもないではないか。民の大きな信頼と総意の上に成り立っているのである。

だから天皇はご自身を守る必要がなかった。

それがわが国の在り様でもあり、他国と大きく異なるところである。

 

どうしてそこまで国民と信頼感関係があるのだろうか。それはわが国の民意や民度が育んだことばかりではないと思われる。特筆すべき点として、日本においては奴隷がいなかったことも、考慮すべきことなのかもしれない。

つまり日本では、人をある意味平等に捉えていたことと関係があるかもしれない。もちろん身分のようなものはあったにせよ、それは他国のように厳密ではない。

 

他国はほとんどすべてに奴隷がいた。それらの人々に人権は無かった。厳格な差別もあり身分の異なる者同士の結婚もなかった。

わが国に差別がなかったわけではないが、奴隷という立場の人はいなかったということだ。あらためてわが国の人のとらえかた、自然との関わりの中で八百万の神が存在し、すべてのものに神が宿る暮らしをしてきた日本人のそれが大きな到達点であったのかもしれない。

 

さて、『国体』の意味が分かったところで、阪神淡路大震災と東日本大震災当時のことを思い出してみよう。時の首相は国民の代表であり頂点に立つ人物である。

その首相が天皇や天皇制、わが国の『国体』を敬わない存在であるとすればどうなるか、ということだ。『カルマ』からみれば最高のチャンスだと言えるのではないだろうか。

「日本は弱体化する」・・・『カルマ』はそう思うだろう。

 

それは国の天辺から弛みが始まり、内乱や裏切りが発生しやすくなるということである。

と同時に、どこからともなく不埒な者たちが侵入して来やすい状況になる。

そんなばかな・・・と思われるかもしれない。また、当時政権の中枢にいた人々が皆そのような反日思想をもっていたとは限らないではないか、と思われる方もいるだろう。

 

ちがうのである。

トップの意志として、我が国をいかに守るかという選択に迫られたとき、彼らでは身を挺して臨めないのである。彼らの頭の中(思考)には別のものが入る余地(隙)があるのだ。要するに大切なものをどのように守るかという気概と胆力、決断に差が出るのだ。

だから危機的状況になったとき腹が決まらず、胆がすわらないことになる。

よこしまな者たちが近づいてきても、末端まで意思統一がされてないので周辺から簡単に堕ちていく。

罠にもはまりやすい。

 

まだピンとこない人の為にもうひとつお伝えしたい。

わが国には「スパイ活動防止法」が無いことをご存じだろうか。軍国主義とか右翼的だという全く意味不明の理由から反対されている。

スパイ活動防止法とは海外勢力の工作活動を取り締まる法律であり、日本以外の国には必ずある法律である。これがないとどのように工作活動を行われても、支配されても文句は言えないし、取り締まりも出来ない。

 

外国の工作員にとってはやりたい放題である。工作員天国とよく言われるとおりである。

拉致だってスパイ活動の一環であるが、取り締まる法律がないために簡単にできてしまう。

しかも外国との交渉において憲法9条の制約で武力は使えないのだから、拉致されていても我が国は手出し出来ない。国家に所属するものは、公権力が使えない。

 

目の前においてもまさに見て見ぬ振りである。

北の工作員は国家としての活動であるからお手上げであり、見て見ぬ振りをするだけなのだ。

本当の話である。これが国家と言えるだろうか。それもまたよく言われるところなのである。

だから日本政府はひたすら非難し、お願いするだけである。情けないが、これがいまの日本である。

実際そうではないか。これは真実である。

 

「憲法があるんだから仕方ないじゃないか・・・」。それが言い訳に過ぎないことは誰もが知っていることなのだけれど、ほんと情けないよね。

「いや、立派な憲法なんだから、拉致ていどのことでごちゃごちゃ言わないでくれ」。

「構わないじゃないか、ひとりやふたり・・・」。実際にそう思っている日本人がいるのだ。

 

国民よりも憲法が大事。丸腰の日本のままでいいと思っている。

旧社会党はまさにそのような勢力だった。

いったいどこの国の人なんだろう、とつくづく思う。

 

ちなみに日本人が協力して工作員に加担しても日本人は罰せられない。お上のお墨付きを得たようなものであり、横田めぐみさんの場合も協力者は平然と生活しているという。近所のスーパーで見かけるその姿にご家族はどんな思いだろうか。

 

話を元に戻すと、わが国のマスコミ、オールドメディアはほとんどリベラルと称する左翼系である。

彼らはわが国が強い国になっては元も子もないと考えている。

だから余計な報道はしないし、国民に知られたくないことは報道しない。くそっくらえ的な報道の自由を生かしているのである。品のない言葉だがご容赦をお願いする。

 

まして内閣総理大臣がマルクスレーニン主義を信奉し、共産主義や社会主義思想、そして北朝鮮の主体思想に浸り、近隣諸国にいい顔をし続けるためには日本がどうあるべきか、何をなすべきかを考えているのだから。その方針は自ずと決まってくるだろう。

 

はっきりと申せば、自己の責任を果たすときの『義を見てせざるは勇無きなり』、の“勇”が軽いのである。この意味も以前述べた。

“勇”が軽ければ国難という“義”に対して務めを果たせなくなってしまう。そうであれば、それに対して天が味方することはないだろう。当然『カルマ』もそう思うに違いない。

 

そのトップの意思に敏感に反応したのが『国体』である。

先に言ったように、『国体』は生きものなのだ。

『国体』は首脳陣の意識を敏感に読み取った。そうするとどうなるだろう・・・。

寸分の隙も無く、微動だにしなかった『国体』の堅牢な守りの壁に、わずかな亀裂が生じていったのだ。

『国体』は、みずから弱体化した。

 

弱体化のサインは、国をおとしめる幾つもの政策と重なってさらに強まった。

わが国の形が損なわれてくると、それまで抑えられてきた『カルマ』は勢いを増してくる。

少しでもないがしろにされた気配が感じられると、国の防備は弱ってしまい、防備が弱くなると同時に、相対的に『カルマ』が浮上してくるのだ。これはどこの国でも一緒である。

 

そのとき、日本は守りが手薄になっていたのである。だから海外からも容易に侵入者は中へ入ることができたし、工作活動も盛んになった。

彼らの工作活動は効を奏した。

もしスパイ活動防止法が作られていたら、今まで通り国会議員の首を抑えられなくなるではないか。

 

本国政府からの指令によってスパイ防止法を葬る工作活動は益々強まっていった。

日本のメディアはとうに落城していた。工作は隅々にまで行われている。

スパイ防止法は野党やメディアの圧力の前に屈していたのだ。

堅牢な船からポンコツ船に日本国は変化していた。

 

それは風前の灯火のようであり、ポンコツ船の水漏れ箇所をいくら塞ごうと努力しても、どんなに優秀な乗組員たちが奮闘しても、船自体が壊れそうなのであるから、嵐に遭遇するとあっという間にひっくり返ってしまう存在だった。

それを知った『カルマ』という嵐はさぞ喜んだに違いない。

しかし、なぜこんなことになったのだろう。

 

すでに政治家は与野党とも弛みに弛み、官僚も巻き込んで、権力争いが起こっていた。

自分らの権利のためにいい国を顧みない加減な運営がはじまった。足の引っ張り合いは日常茶飯事であり、権力にしがみつく者、権力を狙い奪い取る者、それを巧みに利用する者たちが入り乱れる。

はたからこの有様を見ているものは面白がったが、それを敬遠する者や快く思わない者も多かっただろうと思う。醜い争いが内輪もめの範囲であるうちはまだよかった。

魔の手は気づかぬうちに忍び寄る。

 

要するに、保守もリベラルも左派もみな祖国の「尊厳」や、「国益」という大切な事柄を放りだして、自らのために国を利用するだけの醜い姿を露呈したのである。

そこに見えるのは本来のよき日本人の姿ではない。自己中心で利己的な魑魅魍魎たちである。

そうなると、だれが政権に着こうが同じに思えるし、国民もあきれ果てて安易に議員を選択してしまう結果となる。

 

ところがそんなことが大震災という『破滅のカルマ』を招くなんて、普通は思ったりしないに違いない。

『カルマ』の発現のきっかけ、その原因の多くは国の中枢の乱れにある。

そのときの首脳をみれば、『国体』をどの程度のレベルで認識していたか見当がつくのだ。

たとえば民主党政権の野田元首相は女性宮家の創設を意図したといわれ、それは宮内庁も関わっていたという。だが、真にそれを望んでいたのはだれなのだろう。

 

さらに重要なことがあった。

ぼくは当時の首脳たちを“気”で観てたのだが、非常に気になることが判明した*。

(*これに関しては会員レポートで報告する)

 

今まで述べてきたことに対して言い過ぎではないかと、みなさんは思われるかもしれない。

また、“気”でそんなことが分かるのか?と思われるかもしれない。

しかし、分かるのである。

それによって、阪神淡路大震災と東日本大震災が起こった理由がはじめてわかったのだが、正直ヤバイと思わざるを得なかった。

 

では、このたびの武漢ウイルス・新型コロナウイルス禍はいったいどうなのか。

これはやはり、発生地である中国がポイントである。

そしていま、そこから『破滅のカルマ』が始まろうとしている。

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